TOP > マンガ新聞レビュー部 > 印刷所の製造ラインから見た松本大洋

印刷所の製造ラインから見た松本大洋

松本大洋デビュー30周年だというのでエモさが止まらない。
 

10代で『鉄コン筋クリート』『花男』『青い春』『ピンポン』に出会った世代は、「松本大洋世代」を名乗る資格があると思う。そしていつの間にか35歳になった。

高校卒業後、何者かになれるかもしれないという期待感とともに上京し、自分が何者でもないことを学んで10代を終えた自分は、大学を卒業した後に印刷所に入社した。そしてたまたま小学館を担当することになった。
週刊誌、女性誌、旅行誌、そして漫画雑誌。僕たちは多くの雑誌の印刷を任されていた。その中に「ビッグコミックスピリッツ」があった。

仕事は決して楽しいことばかりではなかったけれど、コンビニや書店に配送される前の「ビッグコミックスピリッツ」を手にとることができたのは、印刷所の大いなる役得である。

製本工場からガンガン流れてくる大量のスピリッツを眺めるのは僕の幸せであった。刷りたての表紙はいつもほかほかしていて、ホチキスで中綴じされたばかりの製本はまだ膨らみをうしなっておらず、単色のスミ色は黒々として手にインクが写ってしまうくらい新鮮だった。想像していた東京の生活とは違ったけれど、まあしょうがない。

そのころの「ビッグコミックスピリッツ」にはちょうど『竹光侍』が連載されていた。

僕は『竹光侍』が大好きだ。

 

竹光侍(1) (ビッグコミックススペシャル)
著者:松本大洋
出版社:小学館
販売日:2013-03-29
  • Amazon


作品ごとに画風が変わる実験性は松本大洋作品の醍醐味だが、『竹光侍』は最たる例だと思う。世界観にあわせてつくりこまれた画風や、台詞回しには、惹き込まれるような魅力があった。新しい筆致で、松本大洋作品に欠かせない光と闇の対立と融合、その境界線のようなものが淡く描き込まれていた。

松本大洋は天才だ。読んでいて悲しくなってしまうくらいに天才だ。

そんな『竹光侍』の原稿は、いつも納期通りに編集部から入稿されてきた。今思うと、当時の「ビッグコミックスピリッツ」の編集部は、納期にきちんとした方々だったんだと思う。期日通りに編集部から入稿される原稿は、製版所で印刷用にスキャンされて、文字を写植されてから印刷所に入稿されてくる。それを印刷用に加工して校正して製造管理するのが、僕たちの仕事だった。

それを毎週毎週繰り返していた。

それが僕の20代だった。

20代とは火の玉のような時間である。燃え尽きてしまうのが怖くてとにかく焦る。しかも自分が燃えていることに気づかないので、しばしば他人まで燃やしてしまう。かと思ったら、自ら酸素のないほうへと猛進してしまい、その火を絶やしてしまったりすることもある。とにかく不用意な年頃なのだ。

「ビッグコミックスピリッツ」はそんな20代の僕の近くにあった。『竹光侍』が導き、『クリームソーダシティ』と『団地ともお』が支えた。毎週欠かさず製造ラインから流れてくる「ビッグコミックスピリッツ」は自分の心拍リズムそのものであった。自分はどこかへ行けるのだろうか?はーあ。


そういえば、思い出したことがある。あれはとても寒い冬の日だった。

イメージがつかないと思うが、印刷所の営業席にはとんでもない数の電話が飛び交う。だいたいみんなイライラしている。

「はい営業です」いつものように電話を取ったら集荷室のおっちゃんだった。おっちゃんはこう言った。

「松本大洋さんていう人から荷物が届いてるから取りに来て」

え!

僕は動揺した。荷物を取りに行くのは新人の仕事である。私は良い新人である。すぐに集荷室に行く責務がある。うむ。行くべきである。

エレベーターを駆け出て集荷室に入ると、ガムテープと段ボールでしっかりとくくられた大きめの荷物があった。額縁でも入っているように見えた。その荷物には、宅急便の送り状が貼り付けてあった。そこには作品と変わらない筆跡で「松本大洋」と書かれていた。

松本大洋先生本人の字で「松本大洋」と書かれていた!

内容物はきっと『竹光侍』の原稿だろう。何か事情があって納期に間に合わなかったのかもしれない。あるいは特殊なスキャンを行うために入稿されてきたカラー原稿だったかもしれない。なんにせよ僕はその荷物を開封したくてしたくてしかたなかったけれど、我慢した。規則どおりに現場へとはこんで、仕事へと戻った。

僕のした単純作業が、この世界を回り回ってまだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆくことに、まんまと気づいた夜だった。自分には自分の持ち場がある。


あの冬、納期通りに製造ラインから流れてきた「ビッグコミックスピリッツ」を、いつもと違う特別な気持ちで眺めたことはなつかしい思い出だ。

あれから10年が経って、自分も35歳になったので、昔ほどくよくよしなくなったけれど、松本大洋を読むと今でもエモさが止まらない。

松本大洋は天才だ。僕たちは天才が描く青春とともに、青春を過ごした世代の凡人である。

松本大洋先生、デビュー30周年おめでとうございます。30周年展はライブペインティングが予定されている上に、入場無料だという。たまにはあの頃の気持ちとともに足を運びたい。
 

 

鉄コン筋クリート (1) (Big spirits comics special)
著者:松本 大洋
出版社:小学館
  • Amazon
  • Amazon
花男 (1) (Big spirits comics special)
著者:松本 大洋
出版社:小学館
  • Amazon
  • Amazon
青い春 (ビッグコミックス)
著者:松本大洋
出版社:小学館
販売日:2015-09-04
  • Amazon
  • Amazon
ピンポン(1) (ビッグコミックス)
著者:松本大洋
出版社:小学館
販売日:2012-09-25
  • Amazon