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戦争の才能が開花するとき『皇国の守護者』

ある時ふと、成年雑誌の見出しで“セックスの才能”という言葉が目についた。

その時は、そんな概念があるなら…“戦争の才能”があってもいいのではないか?なんて思ったりした。

世界には、綺羅星のごとく“才能”ある人間が溢れ各々切磋琢磨している。野球の才能、音楽の才能、絵の才能…才能、才能。

ならば、戦いに自体に秀でた能力を持つ”戦争の才能”をもつ人間がいていいはずだ。それは「ランボー」みたいなグリンベレー部隊や、「ガンダム」に乗るアムロ・レイみたいなワンマンアーミーでもなく、「シモ・ヘイヘ」のような天才狙撃手でもない。 

 

それは、戦争を支配する力をもつ人間のことだ。

 

 

この『皇国の守護者』の主人公<新城直衛(以下 新城)>は、大胆にして繊細、傲慢でありながら小心者、さまざまな矛盾が同居する屈折した男だ。しかし、類まれな才能を持ちながらも、力を発揮する機会がなかった。戦争を忌み嫌い、戦闘中には震える腕を抑え指揮官としての自分を奮い立たせるが、それとは裏腹に、血と硝煙の匂いで気持ちは意気揚々と高揚しているそんな男だ。戦況は刻々と悪化するなかで、楽観的な要素はことごとく砕け散り、彼は情け容赦のないリアリストになっていく。

よくラノベやアニメのあるような、仕方なく戦うとか、トドメを刺さない不殺生主義者ではない。彼は、敵をしっかり殺すし、障害と認識したら徹底的に叩き潰す。だから、戦うことを躊躇しないしブレもない。

 

きっと彼は、好きなのだ。戦闘が、戦術が、戦略が、そして戦争が。あらゆる鉄火場が好きなのだ。そして、彼は指揮官として責任を果たすべくあらゆる危険を引き受け、率先して悪となり、目的のために死守も命じることもいとわないそういう男だ。

 

そして、彼はだんだんと戦場自体を支配していく。

 

 

主人公は日本名だが、舞台は日本かと思いきや、我々の世界によく似ているがファンタジー世界だ。その証拠に、蒸気機関がある19世紀半ばの世界に、モンスターとしての<ドラゴン>ではなく、人語を解する高次元の存在の<龍>がいたり、戦車の代わりに巨大なサーベルタイガーが<剣牙虎>として配備されている、他にもテレパシーを使う導術兵や、翼竜にのる兵士など特徴的な世界が構成され、銃と火薬と龍のファンタジーなのだ。

 

<あらすじ>

物語の発端は、突如ロシアのような強大な国<帝国>が南下し、日本みたいな島国<皇国>の北方の領土<北嶺>に怒涛の侵攻からはじまる。緒戦の会戦で大敗北を喫した皇国は、総崩れとなり、総大将守原は北嶺を放棄し全軍撤退を指示する。新城の所属する部隊は、その撤退戦の殿(しんがり)を任され、全軍撤退の時間稼ぎをする捨て駒となることを命じられた。その撤退戦の中で彼は、手塩にかけて育てた部下失い、精神主義の無能な上官をおとりにして敵の追撃を阻み時間をかせぐ。しかし、信頼をよせていた大隊長が戦死、部隊は徐々に押され崩壊しはじめる。由々しき事態なるなか、彼が生き残った将校の中での最高位となり部隊を掌握する。

 

弾薬が尽き食料を失い、部下たちが累々たる屍になっても、徹底抗戦をし遅滞戦を継続する。彼は一切合切全ての敵を打ち倒し、戦って、戦って、戦って、殺す。

そして今、彼の意見を阻む無能な上官はいない。付き従うは、生き延びたい一心の勇猛果敢な部下のみ。この地獄の中で“戦争の才能”をついに開花させる。

この遅滞戦にどれほどの意味があったかは、この物語を読み進め、ぜひその結末をこの漫画で読んで欲しい。そのとき新城の感じた絶望感、徒労感たるや、同情を禁じ得ない。

その後に続く小説の話では、新城の憂鬱な快進撃が始まる。国家が負けこむ度に、彼は勝ち続けそして出世する。

 

 

『皇国の守護者』はもともと小説であり、今回紹介する漫画は、伊藤悠氏によるコミカライズ作品だ。コミカライズというと、映画やTVドラマや小説などがあるが、原作ファンを慮ったり、新規ファンに寄りすぎて大概はうまくいかない。その中で、極稀に、原作の面白さを120%増しするコミカライズ作品がある。それがこの『皇国の守護者』だ。

 

当然のごとく小説は文字だけで表現される。100人いたら100人異なる絵を想像するだろう。それがどうだろう、この漫画では、多分90人はこの絵を見たかった!想像した通りだ!と思うだろう。

例えば、見開き一面に広がりをみせる構成、画面いっぱいに広がる帝国騎兵隊の怒涛の突撃描写。

善戦しているのに部隊が全滅し始める皇国軍、その時の絶望を切り取り、こぼれんばかり無力感を訴えかける兵の表情。

帝国兵がはるか東の果てまで遠征し、兵として死ぬのではなく、獣<剣牙虎>に力のまま引き裂かれ死ぬ。恐怖感を鬼気迫る演出で表現している。

そして、会話の切り取り方や仕草などを、作画をする伊藤悠氏の一度消化して翻訳し表現することで、コミカライズ化としての演出が齟齬なく出来上がっている。読むほどに漫画に引き込まれていく。これぞ!漫画だ!と言いたくなるのだ。

 

ここで原作の小説を書いている佐藤大輔氏に触れたいのだが、長くなってしまうので割愛する。一言で言うならば、その魅力にハマった人間には知る人ぞ知る作家だった。彼の書く文体は佐藤節と呼ばれ、古典、戦史、SF、漢詩、哲学書、アニメまで幅広い分野から引用されていて、非常に癖の強い登場人物たちの、機知に富み、また戯言のような会話が特徴的な文体で表現され、物語を展開していく。

 

代表作は、日英同盟のもとで独と戦う第三次世界大戦の小説『レッドサン・ブラッククロス』、第二次大戦で分断統治された日本の統一までを描く『征途』。混乱と混沌の中で高校生たちがゾンビと戦いサバイバルする『ハイスクール・オブ・ザ・デッド』の原作も手がけている。

 

しかし、そんな佐藤大輔氏はもういない。一昨年の三月に奇しくも病で亡くなってしまった。

 

これは何を意味するか、答えは一つである。

もう続きを読むことができない。そして、出版されている書籍の99%が未完であり、どれ一つとして完結することは、二度と無いということだ。(補足:一応第一部完的な雰囲気でどれも終わっている)

また、この『皇国の守護者』の漫画は、今後も重版もなく電子化も無いという。

 

では、なぜこのおすすめ漫画としてレビューを書いたのか!?

つまり、私はその無限の後悔を、皆と共有したいのだ。読み終わった後に、読みたくてももう続きを読むことができない、絶望の世界をだ。

 

 

こんな方におすすめ

【しっかりとした戦闘、戦争漫画を見たい人、ノリと勢いのワンマンアーミーが活躍するガンダムみたいな戦争が嫌いな人、ブレることのない強靭な精神の持ち主を探している人、ひたすら戦に愛される黒いヤン・ウェンリーの見たい人】