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ランチビールを飲んでひとり泣いたことはありますか?私はあります。『1日外出録ハンチョウ』

ランチビールを飲んで泣いたことはあるだろうか?私はある。かなりある。
 

今を去ること15年以上前、20代の私は、偶然としか言えない巡り合わせで外資系コンサルティング会社というところで働いていた。
偏差値にしてもだいたい中の上、普通の学校を出て普通の暮らしをしていた人間が、唐突に東大京大当たり前、MBAホルダーなんかがゴロゴロいるようなところに、何かの間違いで潜り込んでしまったのだ。

 

なんだかわからないが、合コンとかの見栄えは良かった。世間の見栄えは良かったが、ペーペーかつ周囲と著しくスペックの落ちる私の仕事は、数か月単位のプロジェクトで、地方のクライアント先に行き、昼も夜も土曜も祝日もなく、ただただExcelまみれになって働くことだった。この数か月単位のプロジェクトは、しんどさにおいて、後に紹介する閉鎖空間「地下労働施設」となんら変わらなかったと思う。
 

プロジェクトに区切りがつき、次の出番に収容されるまで、しばしの休みがもらえる。
 

あれは忘れもしない、えらい目にあったH社プロジェクト後の休みの初日、昼まで寝て、死んだばあちゃんとの想い出の池袋のステーキ屋のランチへ、ふらっと入った。
そこで、奮発した肉を頼み、まだちょっと若さ故の抵抗もあったが、生ビールも頼んでみた。

 

そして泣いた。生ビールナニコレ美味いヤバイ。
 

ランチのピークタイムも過ぎた平日の池袋東武レストラン街、客も引けてる中、ビールジョッキを片手に、ひとり滂沱と涙を流すぽっちゃりした若者を見て、お店の人はどう思っただろうか。気色悪かったか?かわいそうとでも思っただろうか?ムショ帰りとでも思われたか?是。そんなようなものだ。
 

極度の緊張、連続稼働状態から、平日昼間の一人ビールによって、一気に弛緩が訪れ、ついでに涙腺も緩めたのだろう。その時ひとつさとった。確かに高いものは美味い。でも、最高の調味料はギャップ。
そう、極度の緊張からの解放と、背徳的な楽しみこそが、なんでもないことを最高の体験とするのだと。

 

1日外出録ハンチョウ(1) (ヤングマガジンコミックス)
著者:福本伸行
出版社:講談社
販売日:2017-06-06
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最高の調味料は空腹?否ギャップだ

1日外出録ハンチョウ』の詳しいストーリーは、ちょうどマンガ新聞大賞2位となった本作のストーリー説明にあずけたい

この説明は私が書いた。本作は、ただ作品に描かれていることを説明するだけで、記事が本当に面白くなる。凄い。そして恐ろしい。

 

主人公大槻は人生の達人だ。普段は強制労働施設に収容されているわけではあるが、彼が本作で飲み食いするその瞬間に味わっているのであろうギャップだけは、彼にしか味わえないものだ。
 

スピンオフ作品である本作の本編『賭博破戒録カイジ』における大槻は、えげつないほど悪いやつだ。
ほんの少し、ほんのひと時の幸せを周囲に振りまくように見せて、実際は搾取する側の人間。
細目の下に隠れる眼の光は、まごうことなき悪魔のものだ。

 

その大槻が、本作においてはなんともかわいいのだ。
この可愛さはたぶん、悪魔が休暇を滑稽なほど楽しもうと努力している、そしてちょっとたまに小ズルいところなのだろう。読者目線から見える、これもギャップだ。ギャップが彼を魅力的にしているのだ。

 

強制労働施設から娑婆へ「なんでもないようなことが~幸せだったと思う~♪」

現世で普通に暮らす我々は、なんならいつでもビールは飲めるし、あのチキン南蛮すら食べ放題みたいなものだ。
ちょっと無理すれば寒ブリで一杯やることも出来るし、旅行に行けば名所旧跡も好き放題回れてしまう。

 

だが待って欲しい。大槻は持っている。そうギャップという最高の武器だ。
強制労働施設と1日外出券という、世紀の大発明ともいえるギャップを恐らく世界最大級に持ち、それを謳歌している。
そこだけはなんとも羨ましく、我々には手が届かない。

 

その、なんでもないようなことが~幸せだったと思う~♪の瞬間は、なかなか演出できない。
なんなら、その歌を歌ってる本人が、奥さんとなんでもないような時を奪われてしまった現実を見て欲しい。
かわいそうだ。すごくかわいそうだ。元奥さんは、ますます綺麗になってるし。

 

ちなみに私は、この作品の紹介とレビューを書くために、1週間で10回はこの作品を読んだ。
結果、ランチで選んだものがその時の自分に最高にフィットしてないと、物凄い損をした気分になるようになってしまった。
そのお店の食べ物が美味い不味いの問題では、最早ない。最高にフィットしてないと嫌なのだ。困る。エラク困る。

 

ランチでお店を、メニューを選んだ時に、その時自分に最高にフィットしたものを選択できないと、何とも言えない、強制労働施設の食堂にいるような惨めな気持ちになり、周りを見回してしまうのだ。おいC班の何某、お前の飯は美味いのか?と、、、
 

とはいえ、あの若いころのビールの味をまた体験するには、前菜としてギャップのもととなる緊張状態をつくらなければならない。冗談ではない、若さゆえの過ちとは思いたくないが、あれはもう無理だ。でも、そんな気にさせられてしまう。
危険だ、この作品は危険だ。それだけに面白い。人生にギャップを、ザワ…ザワ…

1日外出録ハンチョウ(2) (ヤングマガジンコミックス)
著者:福本伸行
出版社:講談社
販売日:2017-09-06
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