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マンガ新聞大賞2017第一位!『約束のネバーランド』を勧めたい3つの理由
約束のネバーランド 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
著者:白井カイウ
出版社:集英社
販売日:2016-12-16
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名だたるレビュアーが選ぶ「マンガ新聞大賞2017」で第一位を獲得した『約束のネバーランド』は、子どもから大人までが一巻を読めば、二巻以降を読まずにはいられない素晴らしい漫画だ。

 

すでに堀江貴文さんも「大作」という表現を使ってレビューをあげられている。

 

堀江貴文おすすめ!『約束のネバーランド』は、大人が読んでも読み応えがある大作。

 

大まかなストーリーにも触れられているが、GF(グレイス=フィールド)ハウスで暮らす“選ばれし”子どもたちが真実を知ってしまうことから始まる。孤児である彼らを引き受ける里親が見つかることが至上の幸せだと教え込まれた子どもたちは、人間飼育農園の人肉だったのだ。

 

しかし、これは人間による人身売買という設定ではなかった。遠い過去、「鬼」と呼ばれる存在と人間が血みどろの争いに終止符を打つべく、互いの世界を二つにわける「約束」が交わされた。鬼にとっての至上のエサは人間であり、世界が割れたとき鬼の世界に残された人間を家畜化した。

 

しかも、愛情豊かに飼育された子どもたちは極上の一品として、それ以外の“普通”の子どもは安価量産型として、ただただ生かされ食べられる。子どもたちは農園からの脱獄を計る。そのプロセスで交わされる大人との駆け引き、心理戦、そして戦略は、読み手を物語に引き込んでいく。

 

そして脱獄後は、鬼の世界と人間の世界をつなぐキーパーソンである「ウィリアム・ミネルヴァ」氏を探す旅である。農園内に隠された僅かなヒントから導き出したヒントをもとに、鬼の世界を潜り抜けていく。

 

鬼と鬼に魂を売った人間と真実を知った子どもたちの世界観を見事に描く『約束のネバーランド』は、なぜ面白いのか。その理由は3つある。

 

 

幸福の主観と客観

 

主人公である子どもたちは、孤児でありながらも、施設管理者であるママの大きな愛情を受け、温かい食事や最高の教育を受ける。緑豊かな敷地で自由に駆け回り、何不自由ない暮らしのなかで生きている。そこにいる子どもたちは太陽のように明るく、いつか現れる里親さんに夢を膨らませる。里親が決まったときには、離れ離れになる寂しさはあっても、それは羨ましさと、いま以上に幸せな日常が待っていることに疑いはない。

 

しかし、主観的幸福もひとたび構造を知り、客観的に自分たちを見たとき、これまでの幸福が誰かによって創られたものであることに絶望する。自分たちは最高級の人肉として献上されるために、最高の環境で育てられており、行きつく先は地獄しかない。未来に待ち受ける絶望を知ったとき、目の前の幸福は音を立てて崩れていく。

 

これは私たちの現実世界でも起こり得ることだ。「知らなければよかった」ことは巷にありふれている。知らなければつらい思いをしなくてよかったこともたくさんある。それでも疑似的な幸せに気づいた人間にとって、「ではどうするのか」という問いに直面する。まさに漫画の世界観に表現されているのは、私たちの日常であると言える。

 

 

あきらめた大人たちの姿

 

生まれてさほど生きていない、社会を知らない子どもたちにとって、「大人になればわかるよ」という“あきらめた大人たちの姿”ほど、彼らの未来を潰すものはない。全能感にあふれる子どもたちをよそ眼に、現実はそんなに甘くないなどということを言う大人に対する嫌悪感はどこにでもありふれている。

 

自分たちに愛情を注いでくれるママも、まさにあきらめた大人の象徴であった。子どもにとっての憧れの存在は、現実社会を知り、変えることや抗うことをあきらめた大人たちの姿である。現実を受け入れ、自分が少しでもマシな状態を目指し生き延びることを選んだ大人に絶望した子どもたちの気持ちは、もしかしたら、私たちが通過儀礼的に感じたものかもしれない。

 

しかしながら、社会はそれほど悪くない。子どもたちの可能性を信じ続けた大人の存在は、子どもたちを勇気づけ、リスクを背負って現実を変えようと動き出す。閉塞感であふれかえる社会において、子どもたちの行動は一筋の光であることを再認識する。これもまた私たちが過去に経験し、あきらめた大人への絶望から、あきらめない大人を目指して躍動しようとしたあの頃を想起させるのだ。

                        

 

正義の反対は、また別の正義である

 

物語はまだ途中であり、これからの展開が楽しみであるが、最新刊(7巻)の時点で言えば、まさに「正義の反対は、また別の正義」があることを認識せざるを得ない。

 

血みどろの歴史に終止符を打ち、世界を分断した「約束」の存在は、その時点において最適解、まさに正義であった。しかし、時が経てば当時の正義から生まれた歪みによって、抑圧された存在が新たに生成されていく。

 

また、人間を、子どもたちを「家畜」として扱い、その能力によって手間暇をかける管理的自然農法と、質より量を重視してコストを極力抑え、安価な食糧として流通させることは、人間側からすれば許されることではない、あってはならないことであるが、人間を食糧としてのみ認識する鬼からすれば、なぜ人間を等級で分け、その身分によって口にできる食糧を生産することは当然のこととも言える。

 

 

私はどこにいるのか。私はどこにいたいのか。

 

『約束のネバーランド』は、若者や子どもたちにとっては「大人」を出し抜き、「大人社会」をひっくり返すための勇気や行動を得られるだろう。一方、大人が読んだときにどうか。これは少しだけつらい思いをするかもしれないし、改めて自分の人生を捉えなおす機会となるかもしれない。

 

人間と鬼という世界の分断は、国や地域の分断、人間関係の分断など、あちらの世界とこちらの世界とを切り分けて物事を語る私たちの社会を投影したものに映る。また、非常に力の強い権力者(ここでは鬼)が決めたルールに抗えないとあきらめ、そのなかで生きることを選んだ大人(ここではママ)、そして真実を知り、リスクよりチャレンジを選ぶ子どもたち。真実を知ることなく生かされていく子どもたち。

 

さらには、子どもたちの可能性を信じ、子どもたちに勇気と力を与えながら、あちらの社会とこちらの社会をつなげようとする大人の姿もある。さて、私はこの物語のなかでどのキャラクターとして生きているだろうか。そして、この物語のなかでどのキャラクターでありたいだろうか。

 

理想と現実、ありたい姿とある姿、そんなことを考えさせられる漫画『約束のネバーランド』が、この度、「マンガ新聞2017大賞」第一位に選ばれた。毎年数えきれないほどの漫画のなかから選ばれた価値観を揺さぶられる漫画を、ぜひ一読してもらいたい。