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1990年代の忘れてはいけない影を描く『愛と呪い』

2020年代に入り、1990年代はすでに現代史の一部になりつつあります。流行・社会史で振り返ると、渋谷のギャルやチーマー文化が花開く一方で、いろいろな事件が起きた年代でもあります。ふみふみこさんの『愛と呪い』はそんな時代と生きた人を描いた半自伝的作品。1990年代の暗い部分が映し出されています。精神状態が安定しているときに、忘れてはいけない時代の記憶を振り返るものとして読むことをお勧めします。

暗く、閉塞感が漂っていた1990年代

マンガはマンガ家個人が描くメディアという特性上、ときに個人が感じた時代を強く反映する作品が生まれることがあります。『愛と呪い』もそのひとつで、扱うのは1990年代です。

 

当時は、1980年代後半のバブルの残り香が漂うとき。一方で、『愛と呪い』にも描かれるように、オウム真理教の事件や阪神・淡路大震災と社会を揺るがす事件がおきた時代でもあります。

 

この中で個人、特に若者はどう過ごしていたのか。

「コギャル」「チーマー」と呼ばれる人たちが渋谷などに誕生し、若者文化が生まれつつあったと同時に、すごく追い詰められていた人たちもいました。

 

この追い詰められた若者はどこに向かったのか。

ひとつは外部への発散。作中でも指摘されているように10代後半が「切れる若者」としてメディアの批判の対象になりました。

もうひとつは暴力が自分に向かうパターン。90年代ではないのですが、80年代後半は学校で先生を巻き込んだ「いじめ」が原因で生徒が自殺する事件も起きています。作品には描かれていませんが、1993年には『完全自殺マニュアル』が出版されました。

 

愛と呪いを読んだとき、「主人公の山田愛子もそのひとりだったのだな」と思いました。作中で愛子は、怒りの発散の先として親を殺そうとするか自分を死に追いやろうとするか揺れています。

 

時代の重荷は弱いところに凝縮される

愛と呪い』を読んで実感するのは、社会全体が暗くなったり重荷を抱えると、すべての圧迫が時代や集団の「弱いところ」に凝縮されるということです。この弱さは、作品の中では「多数派に入れないこと」で象徴されます。入れない人間は弱い人間として、集団に圧迫され続けるのです。

 

この圧迫の結果、愛子は学校でも家庭でも居場所を見つけられません。作中でずっと「普通」の側にいくことにあこがれ、それができないことに苦しみ続けます。(最終的にはインターネットと出会い、なんとか現実社会と折り合いをつけていきます。)

 

こうした「弱い人間が圧迫される社会」は今はもう終わったのか是非みなさんの考えを聞いてみたいです。

 

「自分は違う」で逃げない

もしかしたら「自分の周りはこうではない」と自分の経験から言い切る方がいるかもしれません。自分の周りにいないからといって「そんな人は存在しない/そんなことはありえない」と言い切るのは危険です。

 

もしかしたら30年前のことでまだ消化しきれずに言えないだけかもしれません。むしろ自伝的要素の含まれた作品は、自分の知らない世界を知るきっかけになります。

その点で、その中でふみふみこさんが半自伝的作品として描いていただいたのは本当にありがたいです。(単行本にはほかの方とのインタビューも掲載されています。)

 

時代を知る上でも読む価値は高いですし、自分で折り合いをつけて社会に居場所を作った愛子の姿には安心させられます。

ただし、それまでに至る道は厳しく、ふみふみこ先生の描く力はその厳しさと暗さを増幅させて伝えてきます。

読むときは自分の精神状態を整えたうえで、向き合いましょう。

 

 

 

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愛と呪い 1 (BUNCH COMICS)
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著者:ふみふみこ
出版社:新潮社
販売日:2018-06-09