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終わらない虐待の傷。自殺した友人の遺骨抱えて旅に出る『マイ・ブロークン・マリコ』

平成30年の一年間に、全国212カ所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は159.850件(速報値)、過去最多の件数が確認された(厚生労働省)。 

 

私たちの目に飛び込む、凄惨な虐待の結果、命を落とす子どもたちのニュースの数々は、自らの生活からは見えづらい自宅という世界で、泣き叫び、助けを呼ぶこともできない子どもたちの存在を知らしめる。 

 

では、自宅から飛び出し、直接的な虐待から逃れ、大人になったらすべては解決するのだろうか。

奪われた尊厳は、ある環境から脱出しただけでは取り戻すことは簡単ではない。「虐待サバイバー」は、過去の虐待で受けた心身の傷とともに生きている。そしてときに自らの生命を終わらせる。 

 

小学生で母親を奪われ、中学生で奴隷のように扱われ、高校生になると強姦され、自尊心を奪われ続けた親友イカガワマリコが自死したニュースがラーメン屋のテレビから流れた。

主人公のシイノに思い浮かんだのは、体中を父親にボコボコにされ、常に「自分が悪い」ことに苦しみながら笑うマリコのことだ。 

 

シイノは包丁を手に、マリコの実家に訪問する。通された部屋にはマリコの遺骨と写真。それを奪うと、マリコの父親に暴力を受けながらも窓を飛び出し、逃げ出す。 

 

遺骨、いや、マリコとの対話のなかで、シイノはマリコの自尊心を取り戻す旅にでる。

それは実現しなかった海を見に行く旅であった。旅先での出会いやトラブルのなか、シイノとマリコの思い出が次々と現れては消えていく。 

 

その思い出が私たちに投げかけるのは、虐待によって受けた傷、損なった自尊心は、虐待がなくなった後も、そのひとの人生に大きな影響を与え、「生きる」ということが何かすらをも曖昧にさせてしまう光景だ。 

 

そして、友人としてのシイノを通じて、虐待経験を持つ友人に伴走し、支えていくことは、言葉にするほど簡単ではないことが何度も繰り返される。

悪い男から必死の思いで守り切っても、気が付くとその男の元に行ってしまい、また傷つけられる。 

 

つらい、会いたいというメッセージに応えられないとき、その後に友が巻き込まれるトラブルを見て、会いに行けなかった自分に嫌悪する。人生は先に進んでも、関係性はそのままに、支える側の友もときに疲れていく。 

 

『マイ・ブロークン・マリコ』は、この社会の虐待問題に直接的なメッセージを投げかけない。

しかし、そのような傷を持つ友人を個人で支え続けることの限界は、社会全体で解決していかなければならないという結論に私たちを誘う。では、どうしたらいいのか。 

 

私たちは、具体的な解決方法を提案し、この問題から目を背けず自分ができることをやっていく、という覚悟を持たなければならない。

それは茨の道であり、誰かに任せておけばよいというものではない。 

 

そして、この問題は私たちの日常にありふれた話として認識することで、どこか遠くの世界で起こっている作り話のひとつであるという考えからの逃避を終わらせるときが来ているのではないだろうか。 

 

 

マイ・ブロークン・マリコ (BRIDGE COMICS)
著者:平庫 ワカ
出版社:KADOKAWA
販売日:2020-01-08