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『十二国記シリーズ』で知る自分に自信がない人のサバイバルスキル

私のツイッター上で『十二国記』シリーズが話題になっています。

独自の世界観を作り上げているファンタジーとして読み応えのある作品であるうえ、自分に自信がない人、周りの意見に左右されやすい人がどのように生き抜いていけばいいのかという生きる上でのヒントも得られます。

 

 

十二国記―アニメ版 (1) (アニメKC (156))
著者:小野 不由美
出版社:講談社

素晴らしい世界観と人々が織りなすファンタジー

 

十二国記シリーズは、現実世界と、異世界〈十二国〉を舞台にした壮大なファンタジーです。2つの世界を行き来できる人は限られ、異世界の人は海の遠くにある国として日本や中国を認識しています。

 

〈十二国〉は、王様が治める世界で、その王を選ぶのは天意を受けた麒麟という聖獣。選んだあとは仙人でもある官吏とともに国の統治を担います。

(王と麒麟は基本、不老不死ですが、王が天意に反する政治を行えば麒麟が病に倒れ、やがて王も死ぬことになるという一蓮托生の関係でもあります。数々の二次創作の傑作を生み出した罪な設定……)

 

ファンタジー物語ですが、そこで生きようとする人々、王、国を支える官吏は現実世界そのもので、月並みですが「骨太な物語」というのはこういうものだといつも思わされます。

 

アニメコミックスの最初の物語の中心となる中嶋陽子は、現実世界の日本から〈十二国〉に麒麟によって連れてこられたひとり。

原作の小説ではひとりで、アニメでは現実世界で関係があった「友達」と、異世界をさまようことになります。

裏切りと攻撃、そして現実を突きつけられることで自分の進むべき道を見つけ、麒麟が陽子を〈十二国〉に連れてきた目的――〈十二国〉のひとつ、慶国の王にすること――を選択します。

 

自分の見たくないものから目を背けずに、自分で自分の「統治者」になる

 

〈十二国〉では王になって初めて決める法律を「初勅」と呼び、その国を新しい王がどうしていくのかを示すものだとされています。現実世界から来て、〈十二国〉の基本的な考え方を知らない陽子は当然どんな初勅にしようか迷います。

 

そして身分を隠して民の言葉を聞いた上で決めたのが「原則、叩頭の廃止」――〈十二国〉では高貴な人に対しては頭を地につけておじぎをするのが常識でしたが、それを廃止したのです。

 

理由や背景、そこに至る物語はぜひ作品を読んで、陽子の言葉から聞いてほしいのですが、背景にあるのは国や高貴な人に頼らず自分で自分を治めるように生きてほしいという思いです。

「誰かが何とかしてくれる」「誰かが考えてくれる」「誰かが代わりに怒ってくれる」「誰が解決してくれる」という他人依存ではなく、自分がどうしたいかを考え、発言・行動するという本当の意味で自立してほしいという願い。

そして、自立できてこそ、余裕ができて少しずつでも他の人に手を貸すこともできる、という考えも受け取れます。

 

これはもうひとつ、旅のあとに陽子が心に置いている「自分の弱い部分から目を背けない」という考えにも通じます。

 

陽子は基本的に周りの目を気にして行動する人間。高校生になるころには親や学校のクラスメート、先生から好かれるような行動をしがちになっています。

 

もちろんそんな心意気では異世界である〈十二国〉では生き抜いていけません。陽子は攻撃され、だまされ、自分の嫌なところを突きつけられながら、生きのびるために何が必要なのかを考えていきます。

その中で「自分は周りの人から好かれようと行動しているだけだ」という弱い自分を認めました。

 

〈十二国〉に来たとき、陽子は周りから好かれようとしているときは、嫌われるのを避けたいがために「弱み」からは目をそらして、「強み=自分のいいところ」しか見せないようにしているように見えました。

 

しかし、王になるか悩むときには周りの人間に自分が弱く迷っていることを見せられるようになっていたのです

よくできた物語を楽しみながら、最終的には弱い自分も認めないと周りとうまくやっていくことすらできないということが切々と伝わってきます。

 

最近はSNSを含めていろいろな人の考え方が目や耳に入ってきます。

自分の考えを持っていないと、ぐらぐら揺れやすい。特に自分が意識していない弱いところを指摘されると、つらいです。

 

でも自分をきっちり持ち、弱いところがわかっていれば、いくら言われても単なる「考えるきっかけ」にできます。

この過程では、下手すると自己分析のドツボにはまっていくのですが、物語を追いながら考えていくと自然と「自分の大切にしたいものはなにか」という方向に向かうことができます。

 

「言葉が通じれば理解しあえる」わけではない

 

もうひとつはコミュニケーションについて。

シリーズには陽子とは別に明治時代の日本から〈十二国〉の世界にきた鈴というキャラクターがいます。原則、「海客」と呼ばれる彼らは〈十二国〉の言葉がわからず、コミュニケーションに苦労します。

そこで鈴は才国ある仙人に懇願して自分も仙人にしてもらいます。仙人になれば言葉が通じるようになるからです。

(ちなみに作中には複数の海客が登場し、言語を習得した人、習得できなかった人といろいろです)

 

〈十二国〉の言葉が使えるようになったにもかかわらず、鈴は自分の仕える主人の仙人やその周囲の人とうまく意思の疎通ができず「いつか誰かが助けてくれる」と思って日々をやり過ごしています

 

そして思い切って主人のもとを飛び出し、助けてくれた才国の王の言葉も響かない。

ひたすらに「自分はかわいそうだから、誰か私よりも強い人が慰め、助けてくれる」と思って慶国の王となった同じ海客の陽子に会いにいこうとします。

もちろん小野御大の物語ですから、鈴は陽子同様に長い旅の中で多くの人と出会いながら自分の考え方の間違いに気がつき、周りの人の言葉を受け入れられるようになります。

鈴のエピソードからわかるのは、

 

  •  言葉が通じるからといって意思の疎通ができるわけではない
  •  それぞれ人によってつらいことも楽しいこともある
  •  世間的に「偉い」といわれている人も完璧ではない

 

ということ。

特に鈴は戦争や荒廃で家や家族を失った人たちに対しても「それでも自分のほうがかわいそうだ」と主張し続け、惨めな自分がかわいそうだと思って泣き続けます。

この思考、本当に自分がつらいときにSNSなどをみると陥りやすいことは重々承知しています。

だからこそ、『十二国記シリーズ』を読んで「つらいことも悲しいことも、他人とどちらがひどいか比べることではない」というのを感じてほしいと思います。

 

組織の上に立つ人、必読です。(多分)

 

これ以外にも

  • 信頼は片思いから
  • 幸せの定義

など、いちいち考えさせられることが多いのですが、それは読んでいただくとして(時間がないという方はご連絡いただければ私の文章をお送りします)。

 

そして組織で上に立つ人にこそ読んでいただきたいと思います。「まあでも、個人の成長物語でしょう。自分はしっかり考えているし、成長してきたから必要ない」と思い敬遠するのはもったいないです。

 

もういつのことかも忘れたのですが『活字倶楽部』(現・かつくら)という雑誌で『十二国記シリーズ』が特集されたとき、読者投稿で「全政治家に読んでほしい」というコメントがありました。

 

王の統治の物語なのでもちろん政治にもつながりますが、「天意という偶然で選ばれた人間がどのように周りの人から信頼を得て、やりたいことを進めていくか」という点では企業経営や組織運営に近いものもあります。

 

シリーズ名の通り、物語には12の国とその国を代々治めてきた数々の王が登場します。「自分はどのタイプか」「自分はどのタイプならできるか」と考えながら読むのも楽しいのではないでしょうか。

 

新刊出ました!

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)
著者:小野 不由美
出版社:新潮社
販売日:2019-10-12

 

私が突然『十二国記』の記事を! と思いたったのは、この10月に原作の小説の新作が出るからです。ファン待望の18年ぶりの書き下ろし、しかも載国を描く物語が10~11月にかけて合計4巻も!

 

基本的にクリエイターの方には自由に作品作りをしていただきたいのですが、それでも自分の好きな世界が紡がれるということになると待ち遠しい――改めてこんな思いをさせてくれました。


なお、この発売決定をきっかけにツイッター上必死に『十二国記シリーズ』の話題を追いかけました。その中で「十二国記って異世界ものだよね」とおっしゃる方がいて「確かに」と思わされました。

こういう気づきもあるので、私はどんなに揺さぶられ落ち込もうとSNSはやめられません。

 

 

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