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人生は「逃げちゃだめだ」ばかりってわけでもないよね『ファンタジウム』

 

マンガのいいところは、自由な世界で現実世界ではなかなか出会えない人や考え方に会えること。杉本亜未先生の『ファンタジウム』もそのひとつ。

いろいろな考えを得られるなかで「成長しないよさ」「見巧者」「あわない場所との付き合い方」という印象的だった考え方をまとめてみたいと思います。

 

 

「成長」しなくても変われるし生きていける

物語はマジシャンとして天性の才能を持つ少年、長見良と、会社員の北条の出会いから始まります。良のマジシャンとしての才能を開花させたのは、北条の祖父で同じくマジシャンだった龍五郎。その才能にほれ込んだ北条は、良の道を切り開くべくともに動き出します。

 

こう説明すると、バディものの少年・青年マンガのように見えますが、最大の違いは主要キャラクターが「成長」しないこと。

良は文字の読み書きや学習が難しいディクレシアという障害を抱え、学校の勉強に追いつくことはできず、学校の友だちを作るのが苦手。学校にも行きたくないと頑固に主張します。

 

これは物語の最初から最後まで変わりません。かつて祖父にあこがれてマジシャンを夢見た北条も、良という凄腕のマジシャンが傍いるにもかかわらず、最後までマジックがうまくなることはありません。

 

でも、それが人間の姿なのだと思います。最新の行動遺伝学の研究によると、人間の運動から勉強までほぼすべての能力において遺伝の影響が大きいとされており、これは外交的といった性格にも及びぶそうです。

 

人間は子供から大人になっても少年マンガのキャラクターのようにできることが増えていくわけではない。むしろ個人的な経験からは、自分は何ができないのかを自覚していくのが大人になることだと思います。

では北条や良ができることを増やさなくても、社会で道を切り開くことができたのはなぜか。

それは良にとってのマジックのように自分を幸せにしてくれるものを大切に磨き上げつつ、自分は能力は変えずに考え方や受け止め方を変えることで社会と折り合いをつけていったから。

 

失敗しながらも変えられるところは変え、ときにはだれかとの関係を切りながらの茨道。

でも、その歩みの中で人や社会と付き合うためのノウハウは入手することができる。これもひとつの成長なのだと思います。

 

 

見巧者になろう

良の突き進む道がマジックというアートの世界であるため、アートや芸術の意味、どのようにしてお金につなげるのかというのは作品の底流を流れるテーマです。北条に海外経験があり、欧米ではマジックがエンターテインメントの一角を占め、マジシャンもアーティストとして認められているという事実があるから、なおのことです。

 

すばらしい才能がアートや芸術として成立していくには何が必要なのかという問いに対して作中では高名な陶芸家の先生に「つまり見る方も上手くなけりゃ日本の芸能には本物が残らねぇってことよ!!」といいものを見て選んでいく「見巧者(みごうしゃ=ものの見方が上手な人)」の重要性を語らせています。

 

当たり前ですが、作る人間だけではなく、それをきちんと受け止められる人間もいないとアートも芸能も続かない。私自身はいい見巧者になりたいし、そういう人が増えてくれるといいなと常々思います。

 

これ以外にも芸能、娯楽、芸術の違いなどクリエイター業界に関連する人は考えさせられるテーマが詰まっています。

 

 

合わない場所との付き合い方

もうひとつはあわない場所との付き合い方。

良は前述のように日本の学校にはなじめず、勉強も追いつけません。北条の尽力でなんとか学校には通うようになったものの、いじめられ、友人も少ない。

作中でも学校や家からなんどか逃走します(そもそも北条と出会ったのも家出中のとき)。

 

某著名アニメでは主人公が「逃げちゃだめだ」と自分に言い聞かせるらしい(すみません、見ていないです)のですが、作中の良の生き生きした姿をみると、逃げたほうがいい場面は確実にあるのだなと思いました。

もちろん良が逃げられたのはマジックという自分の好きで大切にしたいコミュニティがあるからですが。

 

「自分の能力を超えたことをやりとげる」というのは素晴らしいことですが、それは自分が好きな分野や自分の人間性を否定しないコミュニティーの中で達成すればいい。

その場合、良のマジックのように、たとえ他人に否定されても自分が好きなモノ/大切にしたいものがあると「逃げ」やすいのでしょう。

 

ある記事で、9月は新学期が始まり、子供の自殺が増えると読みました。

しんどい思いをしたことがある人間としてその気持ちは否定しませんが、彼らには「その前に逃走していいし、大人になったら自分で所属先を選べるよ」というメッセージをファンタジウム全9巻とともに渡してあげたいです。