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原爆の日を前に考える。今こそ読み返したい『はだしのゲン』は本当に反戦反核マンガなのか?

『はだしのゲン』は作者である中沢啓治センセイの実体験を元にした作品。ちょっと意外と思われるかもしれないけれど、初出は少年ジャンプで連載されていた作品です。

 

学校で読んでいい唯一のマンガだった

『はだしのゲン』は現在30代以上の世代は、ほぼ必ずと言ってよいほど目を通したことがある作品でしょう。

なぜかと言えば、小学校の学級文庫や図書室に棚に並んでいた作品で学校で読んでいても怒られることがない唯一の「マンガ」だったから。

 

第二次世界大戦の終戦直前から、原爆投下を経て戦後に復興していく広島で、主人公の中岡ゲンが理不尽な仕打ちや暴力に遭いながらも、どんなに辛くても諦めずに前を向いて立ち上がり、生きていく様子を描いた作品です。

 

この作品のテーマには「反戦」や「反核」であると思います。この作品を読んだほとんどの人は「原爆の悲惨さやむごたらしさ」「戦争を二度と起こしてはならない」との感想を抱きます。

 

もちろんその事自体は何ひとつ間違ってはいません。至極正しい感想だと思います。

 

戦争なんてやってはいけない。
核兵器なんて持つべきではないし、もちろん使用なんてもってのほかでしょう。
政治的な議論が盛んになっている昨今、結構忘れがちではありますが、これは全ての人が持っているに違いない大きな前提条件です。

こうした原点を貫く、ゲンが大人たちに向けて語る言葉の数々は、戦争と平和への永劫の普遍的なメッセージとして残ることでしょう。

 

大人になったからこそ読み解けるさらに深いテーマ

しかしながら、この作品のメッセージは、果たして反戦平和を訴えるだけのものなのでしょうか?

今読み返すと、それだけでは無いようにも思えます。

本作は数多くの版がありますが、中公愛蔵版最終巻で、評論家の呉智英氏があとがきこう論じています。

 

こうした答えは、ある「定説」に支配されている。その「定説」とは「はだしのゲン」は反戦反核を訴えたマンガであり、反戦反核訴えたマンガはそれ故に良いマンガであり、反戦反核の思想は正しい思想である、というものだ。
 しかし、この「定説」は本当に正しいのだろうか。
何の知的検証もない一種の迷信にすぎないのではないだろうか。ひょっとしたら、「はだしのゲン」は反戦反核を訴えたマンガでないかもしれない。反戦反核を訴えたマンガの故に良いマンガだ、という評価の仕方もまちがっているかもしれない。
第一、反戦反核という思想そのものに正しいという保証はないかもしれない。

(全文はこちら

 

 

例えば、仕事を探していたゲンが世話をするように頼まれた政二という男は原爆によって爛れた容姿のために周りから「おばけ」だの「ピカドン(当時の原爆の呼び名)の毒がうつる」などと言われる差別を受けます。

隣近所だけではなく、仲睦まじかったはずの家族にまでもです。

 

原爆によって皮膚が爛れ醜くなってしまい、やはり同じように周りから差別を受けるのは政二だけに限りません。ゲンが出会う少女たちも同じでした。

その度にゲンは差別や暴力に抗います。
それは生前に父親から教えられた理念が彼の中に息づいているからです。

ゲンは大切な仲間や家族を守るためには暴力を振るいます。同時に『戦争はダメだ』と訴え続けています。

 

戦争と暴力の間にあるもの

僕はこう思うのです。
じつは戦争も喧嘩も大した違いはないのではないか、と。

 

そこに至るまでのロジックはどちらも大差がなく、あるとすればきっと規模が違うだけです。
ゲンは仲間を守るために誰かに立ち向かって暴力を振るいますが、これは日本が他国から自国を守るために武力を行使することと同じことです。

 

また、戦後に行動を共にする、ゲンの亡き弟を彷彿とさせる容姿の少年・隆太。

隆太はある因縁からヤクザを殺してしまったため、ヤクザ者に引き取られて鉄砲玉として育てられた過去があります。

作中で隆太は仲間を守るために何度か殺人を犯します。

 

隆太もゲンも暴力を振るうことや、その先にある殺人という行為を否定はしません。

むしろ作品ではその行為をどちらかと言うと肯定するかのように描かれています。

 

こうした考え方は「時代ごとに特有のもの」として、あの時代では悲しいことですが、仕方がなかったんだと感じます。

なので、あの時代の価値観を、今の平和に暮らす僕たちが議論することはあまり意味がないのです。

 

価値観が変わった今、どう読んでいくべきか

世の中に不条理なことは山ほどあって、僕たちはそれにひたすら耐えて生きています。

しかし、不条理なこととあえて戦うことを肯定せざるをえない時もあります。

 

現代と終戦当時では風俗も社会的な面も変化しました。

作中の終盤までゲンはタイトル通りはだしで過ごしています。マンガ的な記号としての描き方ではなくて、本当に着る物がないからずっと服が変わらない。

 

この作品は1972年に発表されました。

男尊女卑が強い時代なので、現代の人がこの作品を読むと眉を吊り上げるような表現が数多く描かれていますが、1945年当時の普通だったということを理解しておかないといけません。

それにも関わらず、この作品ではきちんと男女は等しく「男だけでもなく女も良くない。戦争は日本という国そのものが間違っていた」ということを描いています。

この考え方のように、男女差別の解消について日本人は当時から確かに前に進んできているのです。

 

本作はもちろん『反戦や反核』をテーマにした作品ではあるけれど、そこ一点ばかりにフォーカスしてこの作品を読むとこの作品の本当の面白さを見落としてしまいます。

 

反戦反核のみだけを訴える作品だというのであれば、こんなに長く時代も世代も超えて読まれる作品になるわけがありません。

『はだしのゲン』はじつは複層的なテーマを持つ作品なのです。

 

平和とはどういうことか。

本当の戦争、本当の争いとは何なのか。

きちんと読み込んでいかないと、本当の意味深さに到達できません。

 

今年ももうすぐ8月6日がやってきます。

 

あの時代を生き抜いた人達は年々少なくなってしまっています。

今、僕たちが先の世代に平和を残すために、少なくとも当時何があったのかをきちんと知っておくことが何よりも重要なのかもしれません。

 

 

はだしのゲン 1
著者:中沢啓治
出版社:中央公論新社
販売日:2013-07-04