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文化祭で「前々前世」の後に「Rain」を歌った彼へ――『言の葉の庭』

ある高校生の話を聞いた。

 

文化祭でのことだ。

 

クラスの演し物は「カレー」。
彼は「芋の皮むき係」の役割を早々に終え、あてどなく体育館へ向かった。

 

バンドの演奏が終わり、カラオケ大会のような、歌いたい人が歌う流れになって彼はステージに立たされてしまう。

前のひとは『君の名は。』の主題歌「前々前世」を歌い、ひとしきり盛り上がった後だったという。

 

彼が歌ったのは秦基博の「Rain」(作詞作曲:大江千里)。
新海誠監督作品『言の葉の庭』のエンディングテーマだ。

 

彼が歌った「Rain」はYouTubeにアップされている。
僕なら同級生がこんな上手く歌うのを聞いたら仲良くなりたくて仕方なく思ってしまうのだけど――

会場はしらけ、空気を殺して終わってしまったらしい。

 

拍手はなかったのかと聞かれ、「あんまり聞こえなかった、そこまで意識ない」と笑ってるような泣いているような声で彼は答えていた。

 

「恋」ではなく「孤悲」

 

長野県の諏訪で凡庸に鬱屈した高校生活を過ごし、『ef』のオープニングから新海誠作品にのめり込んできた僕の話はさておいて、彼の悲劇を聞いてやるせなく、切なくなってしまいました。

 

『言の葉の庭』という作品、そして「Rain」という曲が、彼のような言葉にできない孤独や痛みを感じるひとのためのものだと思うからです。

 

「Rain」を歌った彼の選択を、どうすればただ後悔に塗れたものとして終わらせないことができるでしょうか。

 

あの『君の名は。』という「恋」物語だけでなく、『言の葉の庭』が描いた(あるいはこれまで新海誠さんが描いてきた)「孤悲(こい)」の物語を知ってほしいと強く思っているひとりとして、悩んでいます。

 

そう、『言の葉の庭』のコピーは「“愛”よりも昔、“孤悲”のものがたり」というものでした。

 

雨の日の逢瀬

 

『言の葉の庭』が映すのは、靴職人を目指す高校生のタカオと、社会人と思しきユキノという女性のストーリーです。

 

 

雨の日になると、タカオは授業をサボって新宿にある庭園の東屋で、靴のデザインにふけることが習慣になっていました。

 

ある雨の日、いつものようにタカオが東屋を訪ねると、そこには日中にもかかわらずビール(金麦だから正確にはビールではないか)を飲んでいる女性が。

 

 

(C)Makoto Shinkai / CoMix Wave Films  (C)Midori Motohashi

 

 

無言で靴のスケッチを続けるタカオと、ビールを飲み続ける女性・ユキノ。
彼女に見覚えがあったタカオがどこかで会ったかと尋ねると、ユキノは否定します。

ナンパのような声をかけてしまったと恥じ入るタカオに、ややあってからユキノは「会ってるかも」と零すのでした。

 

「雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」

 

 

(C)Makoto Shinkai / CoMix Wave Films  (C)Midori Motohashi

 

 

そう言い残し、ユキノは東屋から立ち去ります。
こうして、雨の日の午前だけのふたりの逢瀬が始まりました。

 

「人間なんてみんなどっかちょっとずつおかしいんだから」

 

大人の女性にもかかわらず、仕事に行かずビールを飲んでそう嘯くユキノが意味深な孤独を感じさせ、一方でタカオも1限を頻繁にサボることを教師に叱責され、自分の進路に漠然とした焦燥をひとり抱えていました。

 

やがてタカオは靴職人になる夢をユキノに告白します。
現実味がないその夢を彼女に笑われず、受けとめられ、質され、タカオは彼女のための靴をつくると決意するのでした。

 

「私ね うまく歩けなくなっちゃったの」

 

しかしユキノの核心めいた部分を知ることができないうちに梅雨は明け、ふたりは逢えない日々が続きます――。

 

現実での再会

『言の葉の庭』は本橋翠さんによりコミカライズされています。

あの映像美を1巻に凝結させ、重要なモチーフである「言葉」を丹念に刻んでいく手際は、原作アニメを観た方にもぜひお読みいただきたい素晴らしさです。

 

 

言の葉の庭 (アフタヌーンKC)
無料試し読み
著者:本橋 翠
出版社:講談社
販売日:2013-11-22

 

 

2学期になった夏のある日、タカオは「学校」でユキノと再会します。
ユキノの正体はタカオが通う高校の教師、彼女は生徒の痴情に巻き込まれた末に退職することになってしまったのでした。

 

この現実を知ったタカオは、ユキノが学校を去る原因となった上級生に殴りかかります。

アニメではハイライト気味に映されたこのシーンを、コミカライズでは解像度高く描写していることには触れておくべきでしょう。

無様に殴り返され、「ユキノ 教師辞めたら振り向いてもらえるかもじゃない?」とからかわれながら襟首を摑まれたタカオは「ホラ 言えよ」と上級生に言い募られるのでした。

 

「ユキノ先生
 辞めさせてくれて
 ありがとうございます
 って」

    
この上級生の台詞に、タカオは硬直します。

なぜでしょうか、僕は彼が本心を突かれたからだと考えています。

 

東屋での逢瀬は「教師」と「生徒」という関係が取り払われていたからこそ、実現していたものでした。

 

その関係が取り払われる雨の日が続くことは、きっと心の奥底でタカオが望んでいたことだったでしょう。

一瞬の硬直から拳を握り直すタカオを映す、新海さんには珍しい暴力的なこのシーンは、ユキノとの恋愛の成就を願う自分とタカオが決別したことを示すためにあったのではないかと思います。

 

『言の葉の庭』という作品はタカオとユキノの恋物語と安易に読めてしまうのですが、その成就は目的とされていません。

 

東屋から離れれば、ふたりは孤独なままです。

 

孤独を抱えた「大人になりたい」少年と、孤独を抱えた「大人になれない」女性が束の間の交流を果たす、ただそれだけ。

 

そんな「交流」は錯覚なのかもしれませんが、けれどユキノは明日へ歩き出す力を手に入れ、タカオは茫漠としていた「靴職人」という夢に向かって歩む決意を手に入れることができたのでした。

 

孤独な〈私〉たちへ

ひとは孤独を抱えて生きるしかないのだけど、タカオの孤独がユキノの孤独を癒やしたように、誰かの孤独はほかの誰かの孤独を癒やすかもしれない——それが『言の葉の庭』が伝えてくれることのひとつだと僕は思います。

 

孤独を引き受け、耐えること、それが恋情がもたらす連帯とは別に、誰かに前へ進む力を与えてくれるものなのだと。

 

『君の名は。』が多くの「私」を代入可能なすれ違う「恋」の物語であったのに対して、このように『言の葉の庭』は孤独な〈私〉たちの悲しさを詠う「孤悲」の物語でした。

 

自らの「恋」と決別したタカオは、ユキノへどんな想いをぶつけるのか、原作アニメでもマンガでも小説でもいいのでクライマックスを確かめてください。

分かる人にしか分からないと言ってしまいたくなる、けれどきっと誰もが抱えている孤独の在り方を示してくれるこの作品に、『天気の子』の放映が近づくいま、『君の名は。』しか新海さんの作品を知らない方に触れていただきたいです。

 

そう、文化祭でステージに立って「Rain」を歌った彼の孤独に、僕は力をもらっていたのでした。

 

だから、心からの喝采を贈りたかった。

もしかしたら、陰キャオタクがイキッてると白い目で見られるのが嫌なんてつまらない自尊心が邪魔をして、体育館の隅にしか僕は立つことができないかもしれないけど、割れんばかりの拍手を贈りたかった……。

彼が歌った「Rain」をぜひ聴いてみてください。

アニメ『言の葉の庭』のクライマックスで流れるこの曲は、とても孤独で美しいから。