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コンプレックスとプライド……生々しい人生観を落語を通して描く『昭和元禄落語心中』

「自分に自信のある人なんていませんよ」 と、お世話になっていたお姉さんに言われたことがあります。

和久井が20代の頃だったかな。

 

当時はそれが信じられなくて、

「だってあの人はあんなに偉そうにしているじゃない」

「この人はこんなにいい大学を出ていい企業に勤めているじゃない」

なのに自信がないわけないでしょう? って。

 

でも、今ならわかります。

 

和久井は、端から見るととってもポジティブで自信満々に見えるみたいです。

短大を卒業した後、銀座でバイトしてお金貯めて23歳で夜間の専門学校に行って、28歳で大学に入り直して、32歳でスペインにテニス留学して。なんだかすごく人生前向きに生きてる感じがするみたいです。

 

だけど、あれこれトライしてた理由は、単純にコンプレックスです。

自分に自信がなかったんです。自分を好きになれなかったから、なんとか好きになろうとしていたんです。

 

知りあいの若い女子にそんな話をしたら「和久井さんでも迷ったり辛かったことがあるんですね」とか言われました。

今まで、よっぽどキラキラして見えてたらしいです。

 

 

でもさ、人はそうそう自分の心の奥底で思っていることなんか、他人には言わないんじゃないかな。

気持ちがカタチで表現できないことも多いし。きっと、誰もがなにかを抱えているのでしょう。

恨み辛みを口に出して生きる人もいれば、つまらないことは口にしないという人もいる。口にしないからといって、その人に「いいこと」だけしか起きていないってわけじゃないんです。

 

京都のお寺(どこだか忘れちゃったけど)で、門前の掲示板に「みな辛い、ただ言わぬだけ」って書いてあって、ガビーンとしました。そうか、みな辛いのか。

 

『昭和元禄落語心中』は、すごい物語です。

出だしが、刑務所から出所したばかりの若者が落語家に弟子入りを希望して押しかける、という派手な始まりなので、喜怒哀楽の激しい、わかりやすい事件やハプニングがたくさん起こるのかな、と思ってました。

 

しかしとんでもない。物語はひたすら淡々と語られていきます。

 

昭和元禄落語心中(1) (KCx)
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著者:雲田 はるこ
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そして、登場人物が「みな辛い」。

元ヤクザでムショ帰りの与太郎、与太郎が弟子入りした昭和最後の大名人・八雲、八雲と同期だった助六、助六の娘で八雲に養女として育てられた小夏。

しかし小夏は、自分の父親は八雲に殺されたと言っています。だけど花びらの舞う中泣き叫んだり、ショックを受けてカミナリが落ちたりという大仰な表現はありません。

 

登場人物は、みんなものすごく人間くさいです。

迷って、葛藤して、なんとなく目の前に現れた道を進んでいく。決して「名落語家に、おれはなる!」とか言って、まっすぐがんばって結果を出す人は出てきません。

わかりやすく問題が解決して友情が深まることもありません。

 

誰もがどこか足りないし、完璧じゃない自分にコンプレックスを抱いています。

 

 

物語は、ひとり一人の人生を丁寧に描いていきます。

初めは単に未熟な人に見えていた人物たちが、その葛藤や考えを知るうちに、どんどんと魅力的な存在に思えてきます。和久井は、八雲にもっとも感情移入してしまいます。てか好みです。

ドラマ版は「あー美しい」「はー美しい」と唱えながら観ています。

 

細身で繊細で、同期の助六に猛烈な憧れとコンプレックスを抱いている。死ぬために生きているような後ろ向きなところがとても放っておけない感じです。

 

 

ひとつ、とても印象的な設定があります。

 

八雲は、子どもの頃に落語家の先生に弟子入りをして、順調に出世をしましたが、生まれは芸者の家でした。

そこは女でなければ居場所のない世界です。しかも、足を故障したせいで踊りもできなくなり、家を出なければならなくなりました。

決して前向きな理由で落語を目指したのではなかったのです。

 

しかし落語は逆に、女の居場所がない世界です。

小夏は、子どもの頃から落語に慣れ親しんでいながら、落語家になることはできません。

 

八雲も小夏も、生まれた場所の違いから、自分の性別を肯定することができないのです。

自分に落ち度がなくても、自分を認めてもらえないことがある。逆に、自分ですべてを壊してしまう人もいる。

どうして人生ってこううまく行かないんだろう、などと思ってしまいます。

 

そして、作中に産まれた赤ん坊、実はとある人の子どもかもしれない……という予測が語られます。

その展開を読んだとき、ドドン! と心臓が鳴りました。こんな奇跡のような子どもがいるのかと。

 

漫画を読み終えたとき、胸がずしんと重たくなり、頭はのろのろと動きが悪くなって、物語の中に自分が入り込んでしまうことがあります。それは間違いなく自分の人生を変えるような名作です。

 

『昭和元禄落語心中』は、そんな物語でした。

 

 

昭和元禄落語心中(10)<完> (KCx)
著者:雲田 はるこ
出版社:講談社
販売日:2016-09-07