TOP > マンガ新聞レビュー部 > やれやれ。村上春樹作品の漫画化をあなたは許せますか...

※この記事は2017年8月18日にマンガHONZ(運営:株式会社マンガ新聞)にて掲載した記事の転載になります。
レビュアー:今村 亮

「やれやれ」と僕は思った。

まともな日本人なら誰であれ、村上春樹作品を漫画化しようなんて思わない。いったいどれだけ多くの原作信者を敵に回す羽目になるだろう?そんなことはサハラ砂漠のど真ん中で雨乞いのダンスを踊るあしかにだってわかる。

筆者は重篤なハルキストである。中学3年生のとき、家の本棚に置かれていた講談社文庫『羊をめぐる冒険』に出会ったのがはじまりだった。そしてこう感じた。「この作家は、なぜ俺の孤独を理解しているんだろう?」(その自己憐憫が世界中の読者と同じ凡庸な感想だったと気づくまでには随分時間がかかることになる。)

村上春樹を漫画化するには勇気が必要だ。誰もが個人的な体験としてしまっておきたいブラックボックスのようなものだからだ。できれば視覚化せずそっとしておいてほしい。

しかし村上春樹作品はたしかに漫画化された。これはフィクションではない。僕たちの日常におとずれた、正真正銘の現実なのだ。やれやれ。
 


いったい誰がそんな真似をしたというのだろう?

Twitterで回ってきた速報記事を見て、ようやく僕は理解した。そうか。漫画化を手がけたのはフランス人だったのだ。

フランス人だとしたら理解できる。いつだって歴史を刻むのはフランス人なのだ。バスチーユ襲撃、フランス革命、そして村上春樹作品漫画化。自由、平等、友愛。西暦2017年の史実は、こうして僕たちの歴史に刻まれた。

 

バンド・デシネとは?

アメリカンコミックスが「アメコミ」や「カートゥーン」などひとつのジャンルを成しているように、フレンチコミックにも独自の文脈がある。それが「バンド・デシネ」だ。

『タンタンの冒険』のような定番作がある一方、「9番目の芸術」と称され丁重に扱われる風潮がある。宮﨑駿に影響を与えたメビウスや、圧倒的表現力を誇るエンキ・ビラルなどの巨匠もいる。近年では日本でも『塩素の味』が文化庁メディア芸術祭で新人賞を受賞したり、荒木飛呂彦・谷口ジロー・松本大洋らがバンド・デシネと協働したりと話題になった。

要するに、「漫画だけど子ども騙しじゃないよね」と評価されている。
 

漫画化されたのは「あの作品」だった!

でも想像してみてほしい。もしあなたがフランス人だったとして、村上春樹のどの作品を漫画化するだろうか?

『風の歌を聴け』では画にならないだろう。展開が地味すぎてコマ割できるかすら怪しい。『ねじまき鳥クロニクル』はいささか長過ぎるし、何よりグロテスクだ。羊男シリーズなんかちょうどいいかもしれない。と思ったが、すでに『羊男のクリスマス』も『図書館奇譚』も絵本化されているので駄目だ。

結果として今回、漫画化第一作に選ばれたのは『パン屋再襲撃』だった。なるほど。悪くない。
 

パン屋再襲撃 (HARUKI MURAKAMI 9 STORIES)
作者:
出版社:スイッチパブリッシング
発売日:2017-06-20
  • Amazon

(ちなみに本作を皮切りに全九作が漫画化するらしく、シリーズは『HARUKI MURAKAMI 9 STORIES』と名づけられた。同名の短編集を編んだサリンジャーへのオマージュであると同時に、「9番目の芸術」バンドデシネの自己主張でもある。)

原作について説明しよう。『パン屋再襲撃』は1986年、同名の短編集に収録される表題作として世に放たれた。短編とはいえ強い存在感のある人気作で、前日譚『パン』が短編集『夢で会いましょう』に収録されており一連のシリーズを成している。同時期の作品『風の歌を聴け』と同じ時系列にあると読むこともできるし、『ねじまき鳥と火曜日の女たち』とモチーフが類似している。初期村上春樹の主要テーマを描いた重要作品だ。

物語は、新婚夫婦がとてつもない空腹で深夜に目覚めるところから始まる。空っぽの冷蔵庫、語られる青春の秘密、じわじわと滲み出す日常への違和感。それを解消するために、ふたりは深夜のドライブに向かう。

主題は青年の成長だ。闘争に敗北し厭世を決め込んできた青年が、いかにして青年期の呪いを解き結婚生活へと移行できるか。これは普遍的なテーマだが、60~70年代の闘争を生きた青年の自分語りとして、その葛藤が強調される。
 

マンガ表現として注目すべき点

さて、原作の論評は本稿の主旨ではない。バンド・デシネとして描かれる『パン屋再襲撃』らしさに注目してみたい。おそるおそるamazonで取り寄せて、勇気を出して読み進めた感想が下記です。

・パキッとしない淡く深い色味で描かれる世界観がバンドデシネならでは。原作の怪しく気だるい空気感が正しく再現されている。

・「相棒(鼠?)」がリーゼントのヤンキー姿で登場するのが笑える。あのキャラデザは絶対ちがう。フランス人は日本の若者像を誤解している。

・ほかにも全体的に、ニンジャ・ハラキリ・ゲイシャ的な逆輸入文化の香りがただよっており、舞台が日本なのかなんなのかわからない。この無国籍感が逆に村上春樹作品らしい。

・結果、村上春樹特有の痛さや恥ずかしさは中和されている。セリフ回しも気にならない。

・ちなみに仏語は横書きなのでバンドデシネは左綴じが一般的だ。つまり左から右へとページが流れる(アメコミも同様)。しかし本作は吹き出しに縦書きをはめ込むために、全ページを反転加工させている。これは海外コミックの翻訳ではあまり一般的な手法ではない。

・同時に「ゴボッ」「プッシャーッ」などの擬音語は日本語で表現されている。原語版ではフランス語の擬音語だったようなので、複数ヶ国語への翻訳が前提だったのかもしれない。

・画で見てはじめて気づいたけど、主人公たちの深夜のドライブは飲酒運転ではないか。
 

まとめ。ハルキストはフランス人を許せるか?

率直な感想として、 村上春樹作品の漫画化に踏み切ってくれたフランス人の勇気に感謝したい。村上春樹作品はけっこうラノベなので、もっとくだらなく制作することも可能だ。そうなる前にバンド・デシネが着手してくれたことは安堵すべきだと思う。「まあバンド・デシネなら漫画化もありだよね」というポジションを取ることができるので、ハルキストの自尊心はこれで保たれた。本棚に備えておくとうんちくを語ることができるアイテムとしても貴重だ。

筆者は村上春樹という個人的な読書体験を提供する作家が、グローバルな市場でベストセラーとなっている状況を、本作を通して視覚的に再認識することができた。今でも信じられないときがあるのだけれど、やはり事実なのだ。村上春樹が輸出しているのは、孤独と自己憐憫なのだろう。


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以上です。二回連続で海外コミックを扱ってみました。今後もできるだけ海外コミックのレビューに挑戦したいと思います。

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