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主人公のツナシは最後の最後に、老人を繁栄に不必要と考えたり、個人の自由や尊厳を無視してまで科学技術を重視する「骨の国」の極端な「進歩」を目指したシステムを壊す決意をする。じつは現実の世界でも、過去に極端な進歩主義がたくさんの人を殺してきた。

 

ウォルター・ベンヤミンという哲学者がいる。ユダヤ人で、ナチスの迫害を逃れ、ドイツのフランクフルトからパリに亡命していたが、パリの陥落直前までフランスに留まり、マルセイユからアメリカに逃れようとしたが失敗し、スペインへの入国を拒否されて自死した。彼が死ぬ直前まで大事にカバンにしまっていた原稿に、『歴史の概念について』という文章がある。

 

「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見つめている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。歴史の天使はこのような姿をしているに違いない。

彼は顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼はなろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。

ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。

私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。

ヴァルター・ベンヤミン著 浅井健二郎訳『歴史の概念について』

 

普通とか常識というものは、歴史の中から生まれてくる。ありとあらゆる「進歩」の嵐に耐え、ひとびとに「共通の概念」として受け入れられ、残ってきたものが「普通」である。ベンヤミンが言っている「進歩」とは、無理やり人びとを未来に連れて行く。瓦礫が積み上がっていってもそれをさわることさえできない。しかも、翼を広げて過去を見つめているので、背を向けている未来を見ることができない。

 


ベンヤミンが「瓦礫」と呼んだものは、ナチス・ドイツの被害者であったり、第一次大戦の被害者であったりしたかもしれない。彼は「進歩」というものを、そうした弱い者を置いてけぼりにするものではないかと考えていた。僕は『テンプリズム』を最後まで読んで、曽田正人がこの物語を、「大人のファンタジー」と呼んだ意味は、「進歩」と「普通」の対立を物語のなかで表現したということなのだと思う。
 

               

『テンプリズム』は「進歩」を追い求める「骨の国」がライタイトや魔力(モリ)という技術によって普通を切り捨てていくことの恐怖をファンタジックに描いている。普通というのが歴史という文脈から生まれるものであれば、進歩主義は歴史を抹殺していくものである。フランス革命の後の陰惨な粛清劇とか、アメリカの進歩主義、共産主義という進歩的思想が殺した人間の数がそれを証明しているように見える。

 

 

 

では、本当の進歩とはなんなのか、という問いへの回答もそれとなく物語の最後に示されている。

 

 

 

理性がムダなものを削ぎ落として「普通」を決めるのではなく、混乱や混沌が、時間をかけて帰納的に普遍を生み出していく。そうした普通の発酵プロセスのことを、曽田正人は進歩と考えているのだろう。

 

『テンプリズム』の12巻を読んで、僕はやっとこの物語の新しさというのを理解した。もう一度最初から読んでいるが、最初に読んだときとずいぶん違う物語に感じている。山本周五郎や藤沢周平の時代小説が本当は現代人の物語だと、関川夏央の『おじさんはなぜ時代小説が好きか』を読んで知り、読み直したときの感覚に似ている。要は何回読んでも、違う面白さを発見できる重層的な物語だということ。まだの方はこの機会に。

 

(C)曽田正人・瑞木奏加/コルク

 

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