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マンガだからこそ描ける狂気と狂気のぶつかり合い『来世は他人がいい』狂気に潜むつながりの切望
マンガの良さは、マンガ家個人の執念や興味を平面にとじ込めて伝えることができること。
その世界のなかでは、もはや現実社会では見えにくくなっているものも扱うことができます。この良さをいかして、狂気と狂気のぶつかり合いを描いたのが小西明日翔さんの『来世は他人がいい』です。
「もはやマンガでしか描けないのでは」と思える世界が広がっています。
それまで縁のなかった男女が、親の都合で婚約者とされ一緒に住むことにーーこう描くと典型的な少女マンガのようにみえますが、『来世は他人がいい』が違うのは、2人とも東西の有力ヤクザ一家の子供だということ。
「何か裏で策略があるのでは」という疑念のもと、関西のヤクザ一家の孫娘、吉乃は、東京のヤクザ一家の孫息子、深山霧島のもとに引っ越してきます。
来世は他人がいい(1) (アフタヌーンKC)
著者:小西 明日翔 出版社:講談社 販売日:2017-11-22

マンガだから描けるヤクザと狂気

今回「第2回マンガ新聞大賞」で、『来世は他人がいい』は大賞を受賞、ひとりで驚喜しました。

それは、私がこの作品に引き込まれたファンの一人であると同時に、この作品がもはやマンガでしか描きにくいヤクザなどのアウトローの世界を扱っているからです。

実はマンガを含むエンターテイメントと「仁侠・ヤクザ」は意外に縁が深い。

マンガには「身近では見えない世界を垣間見せて想像させる」という力もあり、その中で仁侠・ヤクザというアウトローはいい役割を果たします。

『ミナミの帝王』では暴力団が資金を供給し、『女帝』の主人公の初恋の相手は暴力団の構成員でした。『白龍』という、暴力団構成員そのものが主人公で「ビジネス」を進めていく作品もあります。

いろいろな作品には、「近所の住民」としてアウトローな人が出てくることもありました。

映像作品では、1960~70年代に東映が「仁侠映画」を作り「極道の妻たちシリーズ」もありました。

娯楽作品のなかで、一定の役割を持っていたのが仁侠・ヤクザ世界なのです。そこでは力と力の争い、血のつながりのないものたちの絆、ひとりの人のために尽くす人間の姿を描くことができました。

当時これらが一定の人気を得られたのは、知らない世界を垣間見たいという思いと同時に、自分と共通するつながりや絆を見いだせたからではないでしょうか。

ただ、暴力団排除条例などの広がりで、創作の世界でも仁侠やヤクザを描くことは難しくなっています。

人気の仁侠・ヤクザ映画は、多くが2000年より前に上映されたものです。(例外は、北野武監督の『アウトレイジ』)
私はその中でマンガは、残されたヤクザ世界が描ける場所ではないかと思っています。ほかのメディアに比べてまだ「見たいと思う人に届けさせられるメディア」であると思うからです。
(ウェブ公開、無料配信でやや崩れ始めてはいますが)
そして小西さんの描く突き抜けた狂気ともいえる人間の感情は、このヤクザや仁侠の世界にすごくフィットします。
例えば『来世は他人がいい』の深山。普通の高校のなかになじんでいそうで、その言動は狂気そのものです。
それを表すのが深山の目の表現。吉乃を見るときの目の中のぐるぐるの表現に、読者は彼が本当にヒロインを見ているのか見ていないのか混乱させられます。
そして吉乃は深山に対し、相対的には普通に見えます。
でも、最初の深山からの「攻撃」への返しや襲われたときの反撃、高校で会った女生徒らへの対応をみると、彼女もまた狂気を抱えていることがわかります。
この作品は、2人を含め、いろいろな人の狂気のぶつかり合いなのです。
ではなぜ狂気が娯楽になり、人は狂気をみたくなるのでしょうか。私は自分の闇を見つめ、それを昇華するためだと思います。

自分の中の闇や昏さに飲み込まれそうになったとき、ふと他人の闇や狂気をみると、いつの間にかそれが取り払われているのです。

この効果は、『ギャラリーフェイク』でキュレーターの藤田玲司さんもご指摘されていました。

狂気に潜む、つながりの切望

そして『来世は他人がいい』が、ヤクザ世界を扱い(もちろん抗争も暴力も女性のモノ扱いも出てきます)つつも、単なる暴力マンガになっていないのは、人と人のつながれそうでつながれない関係を描いているからです。
深山も吉乃も、ヤクザの孫として育ったことは同じ。
でも、物語が進んで2人の考えが明らかになるにつれて「同じ環境で育っても、けして同じ考えになるわけではない」というのがつきつけられます。
なるべく普通の人になじもうとして、でもできない吉乃と、普通の人と同じように見えて、同じになるつもりがない深山。
深山が好きになった吉乃に近づこうとすればするほど、違いがくっきりしてくるのです。
非日常を覗き込みながら、深山と吉乃、およびその周りの人々の人生を追っていく。

『来世は他人がいい』では、リアルでは決して体験できない、良質な「狂気」に浸ることができるでしょう。

来世は他人がいい(2) (アフタヌーンKC)
著者:小西 明日翔 出版社:講談社 販売日:2018-07-23